From:稲嶺保
今日まで秋休み。
なので、妻に代わって
娘のお迎えに。
待つ時間、〇〇エーの駐車場へ。
悪いので買い物も兼ねる。
「あっ・・・」
そこで気づく。
忘れた!
財布ではない。
「マスク」
である。
1年前は気にしていなかった。
「WITHコロナ」
である。
「物忘れ」も気になりながら、
習慣化された湯舟へ、、、
失敗。
子供たちも恐れる。
明日、発行の学級通信で次のことを書いた。
(山本東矢先生「趣意説明222」より)
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ある人のお話を紹介します。
「失敗を恐れ、逃げる人は、もっと大きな失敗をひきよせる。
そして、結局は逃げることはできない。」
私は、小学校3年生のころ、鉄ぼうのさかあがりができませんでした。
何回か挑戦しました。でも、数回の挑戦ではうまくきませんでした。
私は失敗して、笑われるのがはずかしかったのです。
しだいに、挑戦する気持ちがなくなっていきました。そうして、
「どうか早く体育の授業がすぎてくれますように!」と願いながら、先生にも友だちにも目につかないようにすみにひっこんでいました。なんとか数回の授業でさかあがりの授業は終わりました。あらしのような時間はさったのです。
ところが次の年には、また鉄ぼうの時間がありました。そこで今度もすみにひっこんでかくれていました。しかし、今度のあらしのほうがまえの年よりきょうれつでした。なぜなら、さかあがりができないで小さくなっている仲間が、また少なくなってきたのですから・・・・。
さらに次の年には、さらに逆上がりができない仲間はへっていきました。
そうして中学生になったとき、クラスで逆上がりができない人は私だけになってしまったのです。
この時は夢でうなされるほどでした。
「最初、勇気をもって、一生けんめい取り組んでいたら・・・・」
「失敗をかさなても挑戦し続けたら、こんなにまでならなかったのに・・・・」
と何度もものすごく後悔しました。
そこから学びました。
「一時的な失敗、小さな失敗もしたくない人は実は最悪の
マイナスになる」
ということを。
逃げているといいことはないというお話ですね。
人生というものは、
本気さや挑戦する回数によってよくなったり、悪くなったりするもの。
だと思います。本田宗一郎という人は、下のようにいいます。
「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを
恐れろ」
といいます。いい人生をおくるために、チャレンジする回数を増やしてみてください。
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失敗を恐れるのは子どもばかりではない。
我々教師もそうである。
「研究授業を逃げる教師」
もそうである。
私も何度も失敗を経験してきた。
①下手くそな語りを聞かせるな。(授業技量検定)
②授業の危機管理ができていない。(授業技量検定)
面の皮が厚いせいか、めげない。
その度に修正していった。
語りが下手ならば、練習するとともに
「言葉(音数)を減らす。
授業の「もしも」に備えて、
別のフォルダ、USBにデータを保存する。
失敗から学ぶことが多い。
何よりも
「失敗は記憶に残る」
前に立つことで
「失敗」を得られる。
前に立たない人には、
「失敗」すら与えられない。
PS 授業でも、よく失敗する。
(間違えるの方がが正しいかな)
素直に謝ることもあれば、
わざと冗談でごまかすことも。
向山先生の「2年に1回は間違える」である。
さらにPS
サークルの模擬授業でも
よく「失敗」する。
それは、誤魔化しようがない。
そんな中で、サークル仲間は
個性豊かな対応をしてくれる。
①いつも優等生な対応をしてくれる
T先生。
②その逆、
何が飛び出すがわからない、
検定で指名する火傷するO先生。
③よく代案を示してくれるS先生。
④「?」が出ると思考が止まるC先生。
本当に個性豊かである。
私も含めみんな自分のことを
「普通」
だと思っている。(私だけかな、、、)
こんなメンバーだから失敗も楽しいに変わる。
ー稲嶺保ー