やらかした・・・


 

From:太田輝昭

 

20数年前。

 

中学校で、臨時的任用で勤務した。

 

公立学校で勤務するのは初めてであった、、、、

 

中学校1年生の担任になった。

もちろん、その時、「黄金の3日間」という言葉を知らなかった。

 

初々しい1年生だった。とても可愛く見えた。

 

私が担当した1年生は、「小学校から大変な学年だった」というウワサがあった。

 

最初の出会いから、2週間ほど、そんな大変な学年だったとは思えなかった。

どの生徒もお利口に見えた。

 

先生方からも「え~。全然!!いい子じゃん!」という言葉が所々に聞こえた。

 

 

それが一転、、、、

 

1か月くらいから、様々な問題を起こしていった、、、

 

器物破損、校内暴力、女子いじめ、不登校、窃盗、、、、

 

授業も真面目に受けなかった、、、

授業中、教室の外でうろうろする生徒が数名いた。

 

私の体育では3分の1くらいの生徒が体育着を持って来なかった、、、

(すごい異常な状態だった。)

 

私の指導といえば、叱るだけだった。

最初は注意くらいの優しい言葉が、次第にヒートアップしていった。

最後には、怒鳴り声になっていた。

 

毎日、毎日、私の言葉から出る言葉は、叱責ばかり。

叱るために学校に行っているようなものだった。

 

毎日、毎日、イライラしていた。

それが夢の中でもイライラしていたのか、妻からは「うなされている、、、」といわれていた。

正直、学校へ行くのがイヤであった。

 

そんな中、叱っても一時は改善しても、あまりにも言うことを聞かなかったので、

 

 

腕力にものを言わせて、、、、

 

 

*******

やらかしてしまった、、、、

*******

 

 

読んでいるあなたはピンときただろう。

 

 

その後、ストレスで首が曲がらなくなった、、、

 

 

「1年が早く終わったほしい!!」

3月まで指折り数える毎日だった、、、

 

 

私は全く「指導技術」というものを持っていなかった。

 

「教育技術」を持たないということは、上記の私のような結果になる。

 

「教育技術」は、「子どもを行動させる技術」であり、「子どもを授業に熱中させる技術」である。

 

 

楽しい日々を過ごしたければ「学ぶ」しかない。

 

 

 

また、どこかでお会いしましょう。

  

ー太田輝昭

 

 

 

P.S.

 3月、4月は「教え方セミナー」を開催する。

 

新潟県から、齋藤一子先生(小学校)、広島県から塩田進次朗先生(中学 保健体育)に沖縄にお越しいただく。

 

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太田輝昭

沖縄県立公立高等学校 保健体育科教諭 TOSS沖縄代表 

「知的な学びは楽しいもの」のモットーのもと、授業の腕を上げるために日々、研鑽している。TOSS授業技量検定三段。剣道教士七段。琉球古典音楽野村流音楽協会新人賞。京都教育大卒。琉球大学院教育学研究科教育専攻保健体育専修卒。琉球大学医学部保健学科博士後期課程在学中。単著『「平泳ぎ」「クロール」で25m泳げる10のステップ』(明治図書出版)編著『高校生が夢中になる知的な授業』(明治図書出版)、共著『沖縄から平和学習へのメッセージ』他多数  H25文部科学省委託事業「教員の資質能力向上に係る先導的取り組み支援授業」受託。




  

 


 

  

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