よい授業をまねすることは自分にも子どもにもいいんだな〜

 From:東恩納巧

 

ある年の2月。

 

 

 

 

 

 

 

休み時間は大騒ぎ。

 

一人一人の声が大きく、ベルが聞こえにくいほどの騒がしさ。

 

そして、教室で走り回る子が常に3〜4人いる。

 

 

 

授業中、「分からない」と投げやりになり、後ばかり向いてしまう子もいる。

 

ケンカは毎日のように起こった。

 

毎日のように叱ってばかりの子も3人いた。

どうしても2月は毎年、乱れがでちゃう。

まあ、私自身がいい加減だからかな(笑)。

 

 

 

もちろんうまくいっていた部分もたくさんあった。

 

しかし、この不安定な状況があった。

 

今にも崩れそうな危うさもあった。

 

 

 

そんなある日。

 

道徳の授業に何をするか決まっていなかった。

 

道徳の副読本でさらっとその時間を流そうかとも思った(逃げ)。

 

その時、以前セミナーで手に入れた道徳の授業冊子+コンテンツがあったのを思い出した。

 

その中から「阪神・淡路大震災」からボランティアを考える授業をすることにした。

 

 

 

最初の画面は、少年犯罪の新聞記事である。

 

どれも残酷な事件であった。

 

画面を出して、

 

「中学生が小学生を殺してしまった事件の記事です。」

 

と入っていった。

 

子どもは画面に釘付けになり、ぐいぐい引き込まれている。

 

自分が考えたことを発表したくてたまらない状態だった。

 

いつも叱られてばかりいる子達が真剣な顔でこちらを見ている。

 

 

 

ほどよい緊張感のある教室は久しぶりだった。

 

その光景を見た私は、全身に鳥肌が立った。

 

まさに「腹の底からの実感」だった。

 

その後も授業が停滞することなく、たくさんの意見が出された。

 

授業後の感想はノート3ページもの意見を書く子が4名もいた。

 

その中に叱られてばかりの子もいた。

 

 

 

 

まだまだ学級は大丈夫だと心底思えた。

 

明日への活力がでた。

 

悪いと思っていた子どもがかわいらしく見えた。

 

 

 

 

 

よい授業を真似することは、自分のためであると思った。

 

学級経営を助けてくれるから。

そして、子どもをたくさん褒められ、お互い気持ちよく過ごせる。

 

 

 

よい授業を真似することは、子どものためである。

 

子どもにとって、価値のある授業を積み重ねることは学校生活の充実につながる。

 

 

 

 

私の授業力が高かったわけではない。

 

一級の資料がそろっていたからである。

 

たくさんの情報の中から厳選された資料があったからである。

 

そして子どもが熱中するように、資料が配置されているからである。

 

さらに発問が良かったからである。

 

こういった授業を自分で作るのは、至難の業である。

 

年に一回はできるかもしれない。

 

しかし、道徳で言えば、35時間ある。

 

こういった授業はたくさんたくさん知っていた方がよい。

 

自分が持っていた方がよい。

 

 

 

そんな授業コンテンツが手に入る仕組みがある。

 

授業で使えるコンテンツと指導案である。

 

 

 

良い授業を真似することは自分のためである。子どものためである。

 

 

 

P.S.今後も皆様がすぐにまねできる授業をアップしたいと思う

 

 

ー東恩納巧

 

  

 

たくさんの授業コンテンツが利用できる。

     詳しくは、

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 『ラクして勉強』

  

 


東恩納 巧

沖縄県公立小学校 TOSS沖縄サークル「チェンジ」代表

東京学芸大学卒

 

  

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