正しい勉強が教師を伸ばす

From:稲嶺保

 

 

 

本日、勤務校で研究授業。
高学年だったが
上手い。
授業がシステム化されている。
 
指導主事も話されていたが、
「日頃の積み重ね」
である。
 
ただ、参観する教師で
気になることはあったのだが、、、
そんなことも考えながら湯船へ、、、
 
気になったことは、
「手を出すこと」
「口を出すこと」
である。
 
研究授業は、
もちろん
「授業」である。
教諭と学級児童
で成立する。
 
ただでさえ、
まわりを何十人の大人に囲まれる
異質な空間
にもかかわらず、
「ちょっとノート見せてもらっていい。」
「書いたもの見せてもらっていい。」
と平気で話しかける。
 
研究だから、
「何でもあり」
ではないと思うのだが、
いかがだろうか、、、
 
話は変わって、
今回は、
教師の勉強
についてである。
 
学び続ける教師
は当たり前。
 
その努力の方向性である。
 
向山先生が次のように話されている。
 
正しく勉強した教師は伸び、勉強しない教師は落ちる。
当然の帰結である。
 
どんなにすばらしい教師にも駆けだし時代はあった。
教師の採用試験を通過して、教師になった者同士、才能に大きな違いはない。
出発点は、みんな同じような「駆け出し」と思えば間違いない。
新卒から十年、二十年、三十年、年と共に差は開いていく。
当然のことである。
 
ある教師は、腕をあげ、多くの子ども父母から信頼される。
若い教師から頼りにされ、教えを請われる。
 
一方、ある教師は教師がガタガタになり、子どもは騒乱状態になる。
若い時は、子どもが群がるような人気のある教師が、年を経ると共に、そむかれ反乱される事実を私は多く見てきた。
定年を待たず、途中で教職を去った人を何人も見てきた。
 
どこで差が出てきたのかは、はっきりしている。
正しい勉強をしたか、どうかである。
唯一、この点につきると言ってよい。
正しく勉強した教師は伸び、勉強しない教師は落ちる。
当然の帰結である。
(「教室ツーウェイ」1997年12月号より)
 
正しい勉強
が何かははっきりしない。
 
ただ、自分なりの
「基準」
は持っている。
向山先生の教えてもらったことだが、
 
「子どもの事実」
「教師の腹の底からの実感」
である。
 
どのような研究団体であろうと、
上記の2つが示せるのであれば、
方向性は間違っていない
はずである。
 
子どもにとって
「価値ある教師」
になるために、
学び続ける教師でありたい。
 
PS 
TOSSで学び始めて
18年。
サークルに通い出して
11年。
幸いなことに
方向性は間違っていない。
 
全国の仲間と
学べることが幸せであり、
自分の力になっている。
 

 

 

 

-稲嶺保-

  

 

「サッカーのドリブルができない子」

「縄跳びができない子」

など、具体的な場面をもとに、

「どう指導したらいいのか?」

「なぜ、できないのか?」

を写真やイラストをもとにわかりやすくまとめています。

また、特別支援のスペシャリスト

小野隆行先生も「感覚統合」の面から、運動の苦手さについて書かれています。

私も今回、体育の根本正雄先生から依頼で、2ページですが、執筆させていただきました。

Amazonでも、注文可能です。

私の手元にもあります。

よければ、お読みください。

 


稲嶺保

沖縄県公立小学校教諭  6年生担任 TOSS″必然"代表

「充実感を得るために学ぶ」ことを実践するため、授業の腕を上げる修行を続ける。同志社大学卒。明星大学通信教育にて小学校教諭免許取得。編著『ライフスキル よい生活習慣づくりのすべて』『私たちの授業でオリンピック選手を目指そう!体育訓練』(以上明治図書) 『「算数」授業の新法則 6年生』(学芸みらい社)