子どもの「知らない」は教師の責任

From:稲嶺保

 

 

 

夏休み明け2週目。
昨日は町の祭りの
街頭指導。
少し
いつものリズムが
くずれている。
そんな時、
やっぱり湯船へ、、、
 
野口芳宏先生
を知っていますか。
 
向山洋一先生
社会の故有田和正先生
とともに活躍された方である。
 
国語の実践では
「うとてとこの授業」
が有名である。
 
その野口先生が来沖され、
土曜日に授業を受ける
ことができた。
 
最近、採用試験でもよく聞く
「模擬授業」
もともとは、
野口先生から生まれた言葉
らしい。
 
野口先生は、
「模擬授業を通して
 授業のやり方を教える」
と話されていた。(文責:稲嶺)
 
「知らない」
は教えない方に問題がある。
とも話されていた。
 
事実、
模擬授業の中で
子ども(子役)を
変えていった。
 
 
「善意ある強制、価値ある強制」
 
主体的、対話的な授業
が流行っているが、
やはり、根っこの部分は
指導が必要である。
 
それを
上記の言葉で
表現されていた。
 
例えば、
「挙手の仕方」
一つをとっても、
びしっと挙げさせる。
 
手を取り、
「こうだ」としっかり
見せて教える。
 
考えさせるためにも
「ノートに書かせる」が大事。
 
「〇か×かノートに書きなさい。」
書きなさい
と言ったからには書かせる。
書いているかどうか、
確認する。
向山先生の確認の原則
とも共通する。
 
 
「発表するときは、
 公的話法で話す。」
 
だらだらと話すのではなく、
「公」
全体の前で発表することを意識して、
話すことが必要である。
 
実際、大学生に感想を言わせる場面では、
「あなたの文(発表)には、
 丸(句点)がない。
 だから、何を言いたいのか
 わからない。」
と伝え、どう話せばよいか
指導してくれた。
 
 
「返事」について
購入した書籍では
次のように話されている。
・・・・・・・・・・ 
返事の根本、本質、原点
返本、返金、返品(省略)お返しなどの言葉には全て「返」の字が使われている。
これらに共通するのは、
「相手の手に渡る」
「相手に届く」
ということである。
相手に確実に届かなければ「返」を実行したことにはならない。
「返事」も同じである。
・・・・・・・・・・
 
このようなことを
教えてくれる方はいない。
やはり、
先人の教えである。
 
野口先生は
次のように話されていた。
 
「教育は、不易の部分こそ大切である。」
 
学習指導要領改訂により、
「新しいこと」
ばかりに目が行きがちだが、
これまで長く長く培われてきた
「変わらない部分」
こそ大切にしなければいけない。
 
最初に紹介した一文。
「知らない」
は教えない方に問題がある。
 
我々教師が教えなければ、
子どもはいつまでも
「知らない」ままである。
 
野口先生の教えも
受けついでいかなければ、
いつの間にか
忘れ去られてしまう。
 
我々に引き継がれるべき
大切な教えである。
 
 

 

 

-稲嶺保-

  

 

「サッカーのドリブルができない子」

「縄跳びができない子」

など、具体的な場面をもとに、

「どう指導したらいいのか?」

「なぜ、できないのか?」

を写真やイラストをもとにわかりやすくまとめています。

また、特別支援のスペシャリスト

小野隆行先生も「感覚統合」の面から、運動の苦手さについて書かれています。

私も今回、体育の根本正雄先生から依頼で、2ページですが、執筆させていただきました。

Amazonでも、注文可能です。

私の手元にもあります。

よければ、お読みください。

 


稲嶺保

沖縄県公立小学校教諭  6年生担任 TOSS″必然"代表

「充実感を得るために学ぶ」ことを実践するため、授業の腕を上げる修行を続ける。同志社大学卒。明星大学通信教育にて小学校教諭免許取得。編著『ライフスキル よい生活習慣づくりのすべて』『私たちの授業でオリンピック選手を目指そう!体育訓練』(以上明治図書) 『「算数」授業の新法則 6年生』(学芸みらい社)